ユーラシア経済ニュース

日本であまり報道されない、ユーラシア大陸の経済ニュース記事を翻訳して紹介しています。

クソリプから精神を守る 現代インターネットと沈黙交易

 以前noteの「あなたがSNSやテレワークでバカになるワケ」という記事で、人間の意思決定にはエネルギーが必要で、細かい無意識的な決定を要求されるデジタルは疲れやすいという趣旨のことを書いた。あれは認知科学的な側面から考察したものだったが、私はYouTubeを投資日記という名称でやっているし経済学部卒業なので、もう少し経済寄りの観点からこの問題について考察しておきたいと思う。というわけで今回は「SNS疲れの結果、オンラインコミュニケーションは沈黙交易と化していく」という仮説についてである。
 沈黙交易(Silent Trade)とは何か。それは直接的な接触を避けながら物々交換を行うための方法である。ある部族が、縄張りの境界に交換する物を置いて去る。すると、別の部族がそれを持ち去っていき、今度はその部族が交換に出したいものを置いて去って行く。これを繰り返すことによって、他部族との直接的な邂逅を避けながら任意の物品を交換することができる。直接的に顔を合わせることに伴う紛争のリスクを回避しながらも交易を行うための手段として、人類学の分野では知られた交易形態である。
 この現代的なリフレインが「置き配」である。従来の宅配では配達員がインターホンを鳴らし、住民が直接応対して品物を受け渡すという形式が一般的だったが、パンデミックの影響により直接的な接触を避ける必要に迫られた。そこで生み出されたのが、玄関ドアの前や共有玄関に設置されている宅配ボックスに荷物を置き去り、配達員が去ったのちに受取人が取りに行くという形式の「置き配」である。これは現代的な「沈黙交易」の復活である。「見知らぬ人間と直接対峙することのリスク」が、パンデミックによって疫学的な側面から強調された。
 パンデミックがなくとも、得体の知れない人物との対面にはリスクが伴うものである。いきなり殴られるかもしれないしナイフを隠し持っているかもしれない。あるいは配達員のふりをした強盗かもしれない。単なる物品の受け渡し一つ取っても、じつは以上のような隠されたリスクが潜んでいる。経済学ではこれらのリスクを総称して取引コストという。ヤマト運輸や佐川急便、日本郵便などの配達員が制服を着用し、広告宣伝も大規模に行うのはこの取引コストを低減するための努力である。ぼろぼろのジャージを着た人間が来てもドアを開けられないが、ヤマトの制服を着た配達員であれば安心して応対することができる。この安心感の正体は取引コストが低いということである。あれこれのリスクを考える必要がなく、習慣的に確立されたやり方を何も考えずに行えばタスクを完了させることができる。あらゆるブランディングマーケティング活動も、すべてはこの取引コストを下げることを目的として行われている。
 さてSNS疲れやデジタルコミュニケーションによる疲労感が生じる理由を、オンラインコミュニケーションは「取引コストが高いから」という観点で考えてみよう。SNSでのいわゆる「クソリプ」を考えてみる。ツイッターではある投稿(ツイート)に関して別のユーザーが返信をすることができ、その返信をリプライと呼んでいる。だが、リプライの中には元々の投稿の意図を著しく読み違えたものや文脈を勘違いしているもの、単なる誹謗中傷、マウンティング、あまりにも低レベルな質問、宣伝目的のスパムなど、クソなものが多々紛れ込む。これらクソなリプライを通常「クソリプ」という。以下ではツイッターに限らず、SNS上で行われる同様のものを包括的に「クソリプ」と呼ぶことにする。SNS上の誹謗中傷や暴言などは自殺者も出すほど深刻な問題であり、SNSを運営する企業も対応を迫られているが、このクソリプ問題をユーザーの道徳や倫理、マナーの問題として考えてもあまり意味はない。なぜなら、道徳や倫理観を共有するとは文脈を共有するということであるが、SNSのようなデジタルプラットフォーム上ではそもそも文脈を共有するということが不可能だからである。
 SNS上ではあらゆるコンテンツが文脈も脈絡もなく流れてくる。さらにそれにアクセスしている人のリアル環境での状況もまた千差万別である。ある人は業務としてオフィスで同僚と議論しながら見ているかもしれないし、またある人は昼食をとりながら片手間で見ているかもしれない。また別の人はベッドで横になり映画を流しながら見ているかもしれない。このような現状で、すべてのユーザーに任意の投稿に対して同程度の道徳と倫理を要請するのは土台無理な話である。
 SNS上で何気なく投稿した内容に対してクソリプが付くのは、リアルな取引で考えれば市場に出かけていって「魚が欲しい」と言っただけでいきなり殴られるようなものだ。リアルでこういうことがあれば当然「もうあの市場に行かない」と決心するはずなのだが、SNSではなぜかなかなかそうはならない。ある市場で殴られた人は、こういうリスクを避けるために沈黙交易的なマーケットを選ぶだろう。殴られないという評判になっている市場に移動したり、自動販売機や無人販売で魚を買い求めようとするだろう。
 物理的なモノのやりとりであれば、沈黙交易というものはわかりやすい。SNS上では物理的に殴られたり蹴られたりするわけではないため、精神的な取引コストには自覚的になりづらいのだが、実際にはクソリプをはじめとする多大な取引コストがかかっている。そうである以上精神衛生を保って情報を収集したり発信したりするためには、インターネットの使い方も沈黙交易的になっていかざるを得ないのではないか。
 時間をかけてきちんと整えられたコンテンツのみをじっくり読み、また時間をかけて整えたコンテンツを投稿する。このような沈黙交易的な使用法が、トータルで見た場合の取引コストを低減し、精神的に安定したコミュニケーションの役に立つのではないかと思う。

 

<読書案内>

沈黙交易―異文化接触の原初的メカニズム序説

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ネットは基本、クソメディア (角川新書)